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までドウゾ!

ミシュランのガイドブックサイズで、何の変哲もないクリーム色の表紙(それはすでに40年近い時間経過でもともと白かった紙がそのように時間に染色されてしまったのかも知れませんが)に背の部分は赤いクローステープで装幀がされています。
タイトルは英文ですから、直訳すれば上のような表題になるわけですが、ライツ社の総合カタログは、他に本家のドイツ語とフランス語とイタリア語と、それにスペイン語もあったかも知れません。

ただし日本語版が存在しなかったのは確かなことで、1966年という時代には日本はまだライカの上等なお客さまではなかったのです。せいぜいが木村さんとか土門さんがライカのお客さまでした。
ライツ社は当時、毎年1回ずつ、そのような総合カタログを発行していました。まずライカM3,M2,MDと紹介があり、各種交換レンス、それにライカフレックス、アクセサリー、フォコマート引き伸ばし機、ライキナ8ミリ撮影機、双眼鏡などなど、ドイツの寒村たるウエッツラーがその世界的なライカシステムを構築したのは、私も何度もライツ社(そして今のライカ社)に足を運びましたが、実にありとあれゆるカメラ、レンズ、アクセサリーを生産し、管理し販売したのは、面倒な仕事であり、同時に継続的に神経の緊張を強いられる仕事でもあったな、と感心するのです。

時は1966年ですから、当時の私はまだ19歳。
私は日大写真学科の1年に入学した年でした。ライツの総合カタログを繰り返して見て、今のライカのシステムとあまり変わっていないではないか、と思うのは、これは私が単にライカ旧人類である所以でしょうが、ライカM3,ライカM2、ライカMDは昨日もそれで撮影をした常用ライカであるし、カタログの後ろの方にライカフレックスが紹介されていますけど、それは現代の我々がライカフレックス1型と呼び慣わしているモデルなのに、別にライカフレックス1型とは書かれていません。
当然のことながら、1966年当時にはまだライカフレックスSLもSL2もこの世に存在していないのですから、当たり前の話です。
M型にしてもまだライカM4すら登場していないのは、あれは1967年の登場ですから、そこにがまだ1年の時間が必要でした。

ところで私が宝物にしている、これらのライツ社の総合カタログに魅力を感じる理由を良く考えて見たのですが、それは畢竟、それぞれのライカやレンズやアクセサリーのイラストが写真ではなくて、古風なエッチングのような活版の印刷スタイルであるので、その白黒のコントラストのはっきりした視覚印象が、ことさらライカのような精密光学製品にマッチしていることが分かりました。

昨年の春、パリで、オデオン座の近くのフォトオデオンのウインドウにベッサシリーズ(言うまでもなく信州中野製の)の総合製品ポスターがウインドウに貼られれているのを見つけました。
それは大昔のライツ社のカタログと同様にカメラのイラストが活版印刷風でそのカメラの存在感が際だっているのです。
ははあ、パリのグラフィックデザイナーはやるな!と思いました。
現代ぶ60年のカメラカタログを製作したら人気沸騰間違いなしですが、そういう仕事に携わっている若いデザイナーさんは、その時代を知らないのはちょっと可愛そうなことです。

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